ミロンガの夜

夜な夜なアルゼンチンタンゴ

タンゴの踊りが難しいのは

改めてタンゴの踊りの習得は難しいと思った

まず、

ステップの内容を言葉や文章や図で説明するなど視覚化することが出来ない
誰かが、がんばって文書化したとしても、
それを読んだところで、そこからステップを再現することは出来ない

 

また、

動き全体を見るということで、Youtubeがお手本として使えるように思うが、
それも勘違いのもと。
何をリードしているか見えない
足の動きだけを見て真似して動けば、

それは意味がないどころかかなり危険。怪我をしてしまう可能性もある。

 

あえて、

教えることができるとしたら、
瞬間瞬間に何を意識しながら踊るか

だけかと。

がっかり

CITA Japan

Tangoの世界の耕してきたCITA

 期待が大きかっただけに現実を知るにつれてがっかり。

 

ただ、イベントをやればいいというものではなく、

ただ、集客すればいいというだけではなく、

誰をターゲットに、何を伝えたいのかが、

全然響かない。

 

さらに、

批判するだけの成熟もない。

日本のTangoは、この先どうなってしまうのだろう。

 

足りないものは、何なのか?

たぶん、Tangoに対する情熱だね。

 

 

 

タンゴは深いところがある


タンゴは踊りの見た目と異なって
その深さに迷い込むと
ブエノスまで行っちゃたりする。

ブエノスに行くのは、タンゴの文化に触れたり、知りたいが
その根底にあると思われる。

また、純粋にタンゴの踊りそのものでも、
タンゴの音楽を体で表現して、
さらにそれを相手伝え、一緒に踊るというカタチが
表現手段、伝え方、それぞれが、実に奥が深い。


そして、それは、やがて、
その人の生き方そのものに投影されていく。

これとは別に、
タンゴは、娯楽であり、エンタメビジネスの側面もあり、
深さとは無縁なところでも、気軽に楽しめる。

どのような側面から、
タンゴを切り取るかで、全く違うモノになる。
それが、世界中に広まり、長く続いている理由なのかもしれない。

 

タンゴの距離感

  1. 相手のレベルを観察して踊る
  2. 相手のリードやフォローを見て踊る
  3. 相手を感じて踊る

 

踊りを重ねることで、距離が縮まっていくこともあるし、
初めての人でも、1タンダの中で縮まることもある

どういうタンゴを踊るかというのは自分がどういう風に生きていくかってこと

ひとそれぞれ、タンゴは違う。

それは、その人がどういう風に生きていくかと。

同じ。

 

そんなことを考えていなくても、

踊っているタンゴを見れば、

その人が、どういう風に生きているかが見えてくる。

 

だから、ハマるひとはタンゴにハマる。

 

 

 

ミロンガの仕組みやルールは上手な人のためにある


考えてみれば、当たり前。
ルールを作るのは、そういう人達だから。
自分たちが快適に過ごせるようにルールを作る。
自分たちにとって不快なものはなるべく排除するようにする。

カベセオも、
上手な人達にとっては、快適な誘いかとかもしれない。
まず、断られることがない。
顔見知り出ない人達であっても、上手ければ好印象
遠くから、踊ろうぜ、的なかっこよさげな誘い方もできる。

初心者や、そのミロンガに馴染みのない人は、
そうはいかない。
カベセオで誘うことは難しい。
じっと見続けないと気づいてももらえない。
踊る、踊らないの判断基準も持ちあせていない。

ただ、一度決まったらルールは誰にとっても平等。
ルールが快適になるように、自分を成長させていくのが早道かも。