ミロンガの夜

夜な夜なアルゼンチンタンゴ

タンゴと血液のリズム

血液が流れるリズムで踊れば、タンゴになる。

血液のリズムより早く踊れば、ダンスになる。

血液のリズムより遅く踊れば、静寂のエロスになる。

 

タンゴは深いところがある


タンゴは踊りの見た目と異なって
その深さに迷い込むと
ブエノスまで行っちゃたりする。

ブエノスに行くのは、タンゴの文化に触れたり、知りたいが
その根底にあると思われる。

また、純粋にタンゴの踊りそのものでも、
タンゴの音楽を体で表現して、
さらにそれを相手伝え、一緒に踊るというカタチが
表現手段、伝え方、それぞれが、実に奥が深い。


そして、それは、やがて、
その人の生き方そのものに投影されていく。

これとは別に、
タンゴは、娯楽であり、エンタメビジネスの側面もあり、
深さとは無縁なところでも、気軽に楽しめる。

どのような側面から、
タンゴを切り取るかで、全く違うモノになる。
それが、世界中に広まり、長く続いている理由なのかもしれない。

 

タンゴの距離感

  1. 相手のレベルを観察して踊る
  2. 相手のリードやフォローを見て踊る
  3. 相手を感じて踊る

 

踊りを重ねることで、距離が縮まっていくこともあるし、
初めての人でも、1タンダの中で縮まることもある

どういうタンゴを踊るかというのは自分がどういう風に生きていくかってこと

ひとそれぞれ、タンゴは違う。

それは、その人がどういう風に生きていくかと。

同じ。

 

そんなことを考えていなくても、

踊っているタンゴを見れば、

その人が、どういう風に生きているかが見えてくる。

 

だから、ハマるひとはタンゴにハマる。

 

 

 

ミロンガの仕組みやルールは上手な人のためにある


考えてみれば、当たり前。
ルールを作るのは、そういう人達だから。
自分たちが快適に過ごせるようにルールを作る。
自分たちにとって不快なものはなるべく排除するようにする。

カベセオも、
上手な人達にとっては、快適な誘いかとかもしれない。
まず、断られることがない。
顔見知り出ない人達であっても、上手ければ好印象
遠くから、踊ろうぜ、的なかっこよさげな誘い方もできる。

初心者や、そのミロンガに馴染みのない人は、
そうはいかない。
カベセオで誘うことは難しい。
じっと見続けないと気づいてももらえない。
踊る、踊らないの判断基準も持ちあせていない。

ただ、一度決まったらルールは誰にとっても平等。
ルールが快適になるように、自分を成長させていくのが早道かも。

ブエノスの聞いた話

ブエノスは、孤立している
よそ者を受け入れない

タンゴはブエノスのものだけではなくなった
世界中でタンゴが踊られるようになった

世界中からブエノスにやってくるが、
それらよそ者によって、
ブエノスのタンゴ、ミロンガのカルチャーが壊されることを嫌っている
そのため、よそ者を排除しようという行為になる

よきタンゴの時代を守る力が働いているのだと思う。
どこにでもある光景、けして珍しいものではない。

それはそれとして、
違う扉を開いて、新しいタンゴを受け入れるというところも存在している。
それで、いいんだと思う。

あとは、踊る側は取捨選択すればいいだけの話。

刹那的

刹那は仏教用語
時間の最小単位を表す。

そして、
人間の意識は、一刹那の間に生成消滅(刹那消滅)を繰り返す心の相続運動であるとする。
by wikipedia


無理やりだけど、
タンゴも、生成と消滅を繰り返す心の相続運動とも言える

一刹那は、ひとつの動きの単位であり、
その動きの中に心の動きがあり、その生成と消滅を繰り返す。

心で踊る。